雅に会いに行く
14歳で雅に出会い、Dué le quartzまで遡り、1年耳をこしらえた。
そして15歳の夏、人生初の「ビジュアル系」のライブを観に行きました。
それまでは娘。でしか経験はありませんでした。
初ライブハウス。
初ビジュアル系。
雅-miyavi-くん。
名古屋クアトロだったかな。
とにかく彼を初めて見た感想は、
背が高く、とてつもないイケメン。
私はステージに圧倒されてずっと口が開いていた。
同時にライブハウスの空気に痺れた。
とにかくすべてが刺激的で脳幹が揺れた。
どんな曲をやったとか、衣装がどうとか全く覚えてないけど、
当時のプリクラ手帳に「アンコにあし天、ククル、ジングルなんて…殺す気?」って書いてありました。
うちらは最強地元発バンギャとも書いてありました。死ぬか。
たしかここでだったか違ったか、一個年下のMと会う。
ふみコミュ繋がりの友達の友達で、彼女も仔雅らしい。
彼女とは今もまだ仲良くしているし、なんなら彼女は一度バンギャ休止してPerfumeに行っていたときに同時期に私もPerfumeにハマりライブ会場で再会という奇蹟をたどっている。
バンギャの魂100までなんだなぁ…
そこから、音源ギャ度合いは深まり、とにかく「良きビジュアル系」を探しまわる日々となった。
音源ギャへの第一歩
早速私はこのビジュアル系という音楽の素晴らしさを誰かと共有したい!といきり勃ち、ネサフ。
当時流行していた「ふみコミュニティ」にどハマりする。
今ググったらまだ運営しててびっくり。
その頃は確か自分の顔写真と簡単なプロフィールを載せて、連絡をやりとりするっていう出会い系スレスレアウトなサイトだったと思うんだけど、あまり男女のやりとりではなく女性同士が多かった気がする。プリクラ交換するために文通とかしてた。
当然の如くデブスな私にはなかなか連絡がこず、終いにはデブス!と何のひねりもなく罵られたこともあった。
が、めげずに続けていると数人と仲良くなることができた。
そのうちの1人がKちゃん。バリバリのバンギャだった。
今思えば彼女はいいところのお嬢さんだったんだろうな…と。
全身h.NAOTOを身に付けた高校生。顔も美人だった。
そんなKちゃんから、ビジュアル系聞き始めたなら私のオススメをMD(!!)にまとめるから、聞いてみてくれ!と一通の手紙と共にMDが届いた。
そのMDこそが、私の人生を変えたもの。
中には、
もっとたくさん色んなバンドが入っていた気がする。
そしてナイトメアと仙台貨物については、別MDに分かれて歌詞カードのカラコまで入っていた。
私と咲人さんの出会いはそこから。
そしてナイトメアを初めて聞いたのは、アルバム「リヴィド」から。
歯車が狂いだした…♰
バンギャの世界へようこそ!
雅-miyavi-のGirls, Be Ambitious.
この曲が私をバンギャにさせた一曲でした。
当時田舎の中学に通っていた私ですが、周囲で流行したガガガSP、GOING STEADY、ジャパハリネット等を抑えて雅は私の人生に突如現れすべてを変えていったのでした。
中学2年生、今でいえば厨2病を発症していた私にビジュアル系というジャンルはどんぴしゃだったのでしょう。
すぐにSHOXX(今は亡き…)を買いに行き、付録CDをCDプレイヤーで擦り切れそうになるほど聞いたことを昨日のように思い出せます。
雅-miyavi-の何が衝撃だったのか。
今で言うイケボすぎた。と言うこと。
上記の通り、声ガサガサ系性春パンクロックバンドを聞いていた私にとっては青天の霹靂。
「この穢れた手で、もしよければ、いくらでも、差し伸べてあげる。」
は?
イケメン過ぎん?
かくして私はバンギャのバの字も知らないまま、まずは「仔雅」として音源を漁ることになるのです…